今日は朝からずっとラジオをかけていました。
私は中学生のころからTBS派なので、今日ももちろんTBSです(たまにNHKもあるけど)。
そして、20年間たえず何気なく聞いているのが「大沢悠里のゆうゆうワイド」なのです。
悠里ちゃんの声は独特の味がある声なので(よくTV東京の土曜の夜の番組でナレーションをしている)、とっつきにくい人もいるかもしれませんが、彼のバランス感覚は見事です。とくに年配の男性、女性を扱うのがうまく、あの浅香光代氏も軽くあしらっていましたし、内海桂子師匠すら手玉です。若い人がゲストのときはたまに投げやりなときもありますが。
あの、10時半から始まる名物の蝮のコーナーも実はまむちゃんの腕ではなく、スタジオからあいの手を入れる悠里ちゃんの声によって長続きしているのではないでしょうか。

それと、ひさしぶりに聞いておどろいたのが、11時半過ぎから始まる「永六輔のだれかとどこかで」。必死に耳をかたむけないと永ちゃんが何を言っているのかわかりません。もともと何を話しているのかよくわからないことがあったのですが、その上に言語不明瞭が加わり、念仏の世界です。
永ちゃんという人はTVで自分の下地を作ったくせにTVを批判します。批判自体はよしとしますが、そのわりに、自分の娘をコネでフジTVに入れたりする食えないところがあるので、私としては彼の発言をそのまま受け取れないところがあります。

まあでも、人間だれしも自分のことを気にしてたら何にも話すことがなくなっちゃいますもんね。
 みなさんはじめまして、在日イタリア人のマキシモです。私が思ったことをあれこれつづるので、よろしくお願いします。

 まず、第1回目の話題はプロレスです。マキシモは小学生のころから20年見てきました。かつては会場にもたびたび足を運んでいたものです。いつからだろう、こんな演劇まがいのものなったのは。棚橋?真壁?自分より弱そうな選手にはなにも引かれません。今は年に1回ほどたまたまTVで見かけるぐらいです。

 みなさんは今、プロレスを見ていて、心底興奮したことがありますか?彼らは自分よりも強い人間だと思いますか?
 
 私はこの原因はおおまかに2つあると考える。まず、プロレスファンが簡単にプロレスラーになっていってしまった点にあると思う。彼らは練習をしていない。格闘技、スポーツをやったことのある人が彼らの体、動きをみれば断言できる。観客は本当の強さを感じない選手のプロレスを見続けることはできない。それは、かつても馬場達のようなアスリートとして?というのはいた。しかし、そういう彼らも異形ともいえる体格やギミックの迫力で補ってきた。また、そういうレスラーを包み込むだけの実力をともなったレスラー、外国人レスラーがいたのである。しかし、今はパフォーマンスだけしかないレスラーが99%である。それでは観客も飽きてしまう。
 そしてもう一つの原因は、総合格闘技というジャンルができたため、真に実力をもつものはプロレスに入らなくても、プロ格闘技で生活ができるようになってしまった点にある。
 

まあ、一つのジャンルの興隆、終焉が見れたということでは、貴重な体験だと思う。だが寂しい。プロレス関係者は泥船に乗っていることに気づいていないのだろうか。もう、ロウソクの火は消えつつある。
 
 これだけはファン、関係者もわかっていると思う。「週刊プロレスが発行を中止した瞬間にこのジャンルが社会的に消える」

 その後は、たぶん、キックボクシング並みの興行規模と小劇団のエッセンスがまじった、内輪ネタねらいの、まったく世間には通じないものになるだろう。


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